私の大切な家族、じゃじゃとの思い出

じゃじゃは、私がちょうど小学1年生の冬に我が家に来た、キジトラの雌猫です。新聞広告の猫を譲りますという広告を見て、ずっとペットが欲しかった私は、泣いて父と母にお願いして広告のお宅へ訪ねました。

お宅の玄関を開けると、元気に走り回る2匹の子猫と母猫が出迎えてくれました。私は近くに寄って来る子猫たちを触らしてもらい、その時の柔らかな感覚がとてもうれしく胸が躍りました。1匹だけ頂くという約束でしたので、母が私にどちらか選んでよいと言ってくれ、私は少し頭の縞が茶色い子猫を選びました。飼い主さんは、私たちのような家族連れに育ててもらえるなら安心と、少し悲しそうな表情を見せながらも快く子猫を渡してくれました。

帰りの車の中の段ボールの中でで、子猫は初めて車に乗ってビックリして暴れ、家に戻りたいとばかりに怯えていました。それはとても可愛そうで、私も心が痛みました。ずっと母猫や姉妹と一緒にいたのに、急に離れ離れになったのなら、当たり前だと思いました。家に着くと更に怯えた様子で、段ボールから出てこようともせずに一晩中うずくまっていました。

何がきっかけだったのか、はっきりとは覚えていませんが、餌のドライフードや缶詰を少しずつ食べてくれ、子猫という好奇心旺盛な性格もあってか、私達はすぐに一緒に遊べるようになりました。紙屑を丸めたボールを投げては走ってとりに行ってくれたり、紐で作った遊び道具の動きに遠くから助走をつけて遊んだりと、何時間一緒に遊んでも飽きなかったのを覚えています。

猫という動物がどのような身体能力があり、どのような性格なのか、まだよく分からなかった私は、急に体にジャンプしてきたり、爪で顔をひっかかれたり、そうしているかと思えば急に静かに日向ぼっこして寝ている猫の性格に、どこかつかみどころにない魅力を感じていました。

しかし、ソファーの生地に爪めとぎをして、生地をぼろぼろにしてしまったり、クローゼットの中の服の上に寝て、抜け毛を沢山服に付けてしまったり、台所の上の食べ物を留守中に食べていたりと母に怒られることもありました。
私が大人になるにつれて、じゃじゃも年をとって、静かに寝て過ごすことが多くなったように思えました。受験勉強中のデスクライトの真下に来ては、そのライトの下で寝たりと、私の側で応援してくれました。寝るときも枕元に来ては中に入れてと頭を無理矢理入れて入ってきて、私の腕に頭をのせて喉をゴロゴロ鳴らして一緒に寝ていました。

しかし、じゃじゃが12歳の頃に胸にしこりができ、ペット輸送サービスで動物病院に行ったら、乳がんと宣告されました。高齢になっていたので、手術はかわいそうだと思いましたが、良くなるならと思い手術を受けました。その時は良くなったように思えましたが、その後、元気がなくなり、13歳の時に静かに息を引き取りました。私が子供から大人への成長を見守ってくれ、いつも側にいて私を楽しませてくれたじゃじゃに今でも感謝しています。よく小さな子がペットを飼いたいというと、親はペットの世話や寿命のことを気にして飼うことを進めないというケースがあるようですが、命の大切さやペットとの信頼関係を知るためにも飼うとその後の人生に彩ができるのではないかと思います。
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